書いた文章を直させると、読みやすくはなります。
ただし全部を任せると、自分の文でなくなる。どこまで直させて、どこを残すのかを整理します。
丸ごと書き直させない
「読みやすく直して」と頼むと、全文が別の文章になって返ってきます。
読みやすくはなる。ただし、どこが悪かったのかは分かりません。次に書くときに同じ問題を繰り返すことになる。
それに、書き直された文は平均的な文体に寄ります。誰が書いても同じような文になり、その人らしさが消える。売り物の文章なら、これは損失です。
指摘だけさせる
直すのではなく、指摘に留めさせるのが基本形です。
「直さなくてよい。読みにくい箇所を挙げて、なぜ読みにくいかを書いて」と頼む。返ってきた指摘を見て、直すかどうかは自分で決めます。
納得できない指摘は無視してよい。意図があって崩している箇所まで「整えるべき」と言われることがあるからです。
採用率は半分程度で構いません。全部を受け入れると、結局は書き直させたのと同じ結果になります。
任せてよい範囲
| 作業 | 任せるか |
|---|---|
| 誤字脱字 | 任せる |
| 表記ゆれの統一 | 任せる |
| 二重敬語の指摘 | 任せる |
| 一文が長い箇所の指摘 | 任せる |
| 言い回しの選択 | 自分 |
| 構成の順番 | 自分 |
| 何を書かないか | 自分 |
表記ゆれは特に効きます。「サーバ」と「サーバー」が混ざっている、算用数字と漢数字が混在している。人の目では見つけにくく、機械には見つけやすい種類の問題です。
読み手を指定する
誰が読むかを伝えないと、指摘が的外れになります。
「取引先の役員が読む」「同じ部署の同僚が読む」「業界の外の人が読む」。この一言で、専門用語の扱いから文の長さまで、指摘の中身が変わる。
目的も添えたい。「判断してもらうための文書」なのか「記録として残す文書」なのかで、要る要素が違います。
読み上げてもらう感覚で使う
自分の文章は、自分では読めません。
頭の中で補完しながら読んでしまうので、抜けている接続や、飛んでいる論理に気づけない。他人の目が要るのは、この補完を外すためです。
「この文章を読んで、分からなかった箇所を挙げて」と聞く。直し方ではなく、詰まった場所を教えてもらう。読み手の反応を先に見る使い方です。
長い文書は分けて渡す
全文を一度に渡すと、指摘が薄くなります。
前半だけ細かく、後半は当たり障りのない指摘になる。分量が増えるほど、この傾向が出ます。
章ごとに区切って渡すほうが確実です。手間は増えますが、返ってくる密度が違う。
逆に、構成を見てもらうときは全体を渡します。見てほしいものによって、渡す単位を変える。
直した後に確かめる
指摘に従って直すと、意味が変わっていることがあります。
冗長だと言われた箇所を削ったら、条件が消えていた。回りくどい言い方には理由があった、という場合です。
直す前の文と後の文を並べて、削った部分に意味がなかったかを見る。特に数字や条件が入っていた文では、必ず確かめたい。
残すべきクセ
整えすぎた文章は、読んでも印象に残りません。
短く言い切る癖、話し言葉が混ざる癖、同じ言葉を繰り返す癖。指摘の対象になりやすい部分ですが、その人の文章を成立させている要素でもある。
残すと決めた癖は、先に伝えておくとよい。「体言止めは意図的なので指摘しなくてよい」と書いておけば、毎回同じ指摘を読まずに済みます。
自分用の指摘リストを持つ
同じ指摘を何度も受けるうちに、自分の傾向が見えてきます。
一文が長い。同じ接続詞ばかり使う。主語が抜ける。人によって出る癖は違いますが、その人の癖はだいたい固定です。
見えてきたら、それを一覧にして毎回渡す。「この3点を重点的に見て」と指定すると、指摘が絞れます。
数か月続けると、渡す前に自分で直せるようになる。ここまで来ると、道具として元が取れています。
最後は声に出す
機械の指摘が終わったら、自分で音読します。
読点の位置や、息継ぎのしにくさは、目で追うだけでは分かりません。詰まった箇所が、読み手も詰まる箇所です。
画面で読むより、印刷して読むほうが見つかる。媒体を変えると、補完の働き方が変わるからです。
この工程を残しておくと、文章が自分の手元にあり続けます。指摘を全部受け入れた文章は、読みやすくても他人の文です。
推敲は、直す作業というより、どこを直さないかを決める作業だと考えたほうがうまくいきます。
出典
文体が平均に寄る性質は、生成の仕組みに由来します。

